「邦人留学生らの寸劇に抗議デモ」*1の関連のニュースを読んでみる。寸劇をした日本人教師と学生たちはしょんぼりして反省しているという。
元禄時代ポストモダン的だったのなら、さしずめ現代は(東浩紀氏の命名によれば)動物的ポストモダンなのであり、もちろん(ヴァレリーだっけ?を喜ばせた)元禄時代の「粋」、又は「武士道」的な規範、習俗が現代において消失していることを「動物的」と東浩紀は呼ぶのだろう。
しかし、中国での日本人団体客による集団買春騒ぎや今回の事件は動物にたいしても失礼だ。なんってたって動物にはテリトリー(熊の行動をイメージ)がある。彼らは仲間に対する礼儀作法を持ち外界に対する強い緊張の中で生きる生き物だかんね。


デリダがルソーの「自然人」を脱構築。でも、脱構築したのはルソーの思想じゃなくてルソーのその後の状況(イデオロギーじゃないの?、と考えてみると、東氏の思想的な前提も怪しくなるべ・・。と考え中。