「僕はほとんどオタク」


と息子が言った。
彼は、あたしがかつて古典芸術作品に感じていたアウラをマンガやアニメに見てとっているらしい。というか、彼にとっては古典もアニメも横並びなんだろう。
魂を鷲づかみにするようなアウラを放つ作品は彼にとってはアニメやマンガの中にあるわけだ。もちろん、「古典作品を読んだ中には良いものもあった」ということらしい。
息子はアニメやマンガに敬意を払っている―かつてあたしが古典に対して抱いた敬意だ。しかし、あたしと息子の作品感受性には共通点があるのではないかと思う。アウラを放つ作品、上質な作品とは基本的に「ある意味でのリアル」なものを保っているはずだ。古典とかSFとかアニメという枠組みがリアリティを保ってくれる―once upon a timeで始まるおとぎ話がリアリティを損なわない、という意味でのリアルだが―ということはないだろうか。真実の出来事をそのまま映画や小説にしてもリアリティの感じられないものはある。そういう意味における作品のリアリティとはアウラを囲う枠組なのではないかしら。ソレなしにはアウラが放出されないかもしれないもモノ・・。
かつてのあたしにとって「ある意味でのリアリティ」の要求は古典という枠組みにぶつかり、息子にとってはアニメやマンガという枠組だった・・。ということを考えた(ベンヤミンか、何かを読んでからにしろ、ってご教示を歓迎します)。