「夢の分析」川嵜克哲
すごおく面白い!*1
・・ただ、たとえば、ラカンが「禁止が欲望を生み、ありもしないものを埋めようとする」みたいなことを言っていたとおもうのだけど、そのへんのりろーん的な言い方をおもいだすと、やっぱ、この本の面白さは、「物語」だからなんだな、ということはちょいとおもったのであります。なにか不思議な仕掛けを持った小説みたいな夢分析入門書。だって、著者自身が何遍も、夢分析とは物語ることなんだと書いて、なお、でもユングてきには、ちょいその合理性がゆらぐわけで、そうして最後は、主体の可能性のはなしまでもっていくんだよ・・。
メモ:
夢についてフロイトとユングのアプローチは違う。フロイトは「夢はごまかす」と言い、ユングは「夢は隠さない」と言うのだ。*2
この両者の対立を著者は夢に対する視点(パースペクティブ)の取り方の違いとして詳細に解説していく。フロイトは、換喩的視点であり、ユングは隠喩的視点。つまるところ、換喩的視点とは近代合理精神の申し子であって因果的説明を希求する。対して隠喩的視点とは、一元論的であり、遙か古層からのアニミズムとか、超越的な絶対的なもののなかに個が融解しているがごとき精神であり、そこでは必然も因果関係も、意味ある偶然の海に包まれる。
隠喩的な(詩)的なものから換喩的な(散文)的な構造が立ち上がるとき、そのきしみ、残余、または過剰があり、それがいわゆる無意識だと。
隠喩的な精神と換喩的な意識の両立に関して、著者は(いわゆるポストモダン的解離型主体ではなく)、新しい主体のあり方の可能性があるのではないかという。
蛇足:
巷には、占い師のような、おがみやさんのような、人がいる。彼女(彼)らは、人生相談にのったり、予知めいたことを言ったり、整体のようなことをする。彼女(彼)らは、ほとんど、なにか神道か、そうゆう呪術的な神を祀っている。あたしは、それがずっと不思議でならなかった。この本を読んで、おもわず膝を打ったよ。
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今月、何回目だろ?2日まえも雪が積もった。さすがに4月の雪は一日でとける、、がっ、ゆるせん!
雪、ふるなー!(≧∇≦)ノ