「マッチポイント」/ヒッチコック−加藤幹郎(2)

ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学 (理想の教室)
ヒッチコック<裏窓>ミステリの映画学』(加藤幹郎)という本を読む。映画についての理論的な分析的な本というものを始めて読んだ。面白いー!

あたしは「マッチポイント」という映画の何に魅せられたのか?(DVDは手元にないし、ヒッチコック映画はほとんど忘れているしどっしょもないんだけど、まあ、考えてみる)、まず、クリスとノラの写し方、たぶん主に、視線の「切り返し」ショットとかゆうものが、ヒッチコックばりだったんじゃないかなあ、とか思う。(うーん、なんつっても手元にないので確認しようがないが・・)。クリスのノラに対する横恋慕はもう見るからに先行き不安な横恋慕で、それはつまり、そうゆうスタイリッシュな「切り返し」ショットなわけでしょ?

それと、加藤氏は、ヒッチコック映像には外見と内実のズレ(人は現実を認識し損なう)があるという。この「マッチポイント」という映画はまさに入れ子状に、というよりトラップてきにズレがあったなあ、と。
あたしはクリスの視線にのっけられて(同一化して)この映画を見ていく羽目になるわけだけど、というのも、クリス(とすこしだけノラ)の視線でこの映画は語られ、完結してたわけで。そうしてここんところは、ウディの映画ぽいというか、つまり、クリスの好青年ぽい外見(上流階級の恋人クロエやその家族トムがみているだろうもの)、とクリスの浮気にまつわる内実(観客がみさせられているもの)のふたつがならんで露呈していて、その意味では、ポスト・ヒッチコックてき・・?

ただ、問題は、微妙に宙を舞う印象のあるトムやクロエの視線です。
つまり、クリス+観客(あたし)の視線は、トムやクロエの家族を認識し損なっているかもしれない。(いかにもウディてき住民である)スノブで柔らかい上流階級の家族はクリスとノラをまったく見ていなかったのでしょうか?実はかれらがいろんなことに気づいていたというほうが当たり前、自然です。

この映画のタイトな画面の緊張感は、意識にはのぼらないけど、クリス(+あたし)が実は「見られている」ことによるものだったのです。