「青空に一番近い場所」「海は見ていた」「アイズ ワイド シャット」「半落ち」

青空に一番近い場所 [VHS]
海は見ていた コレクターズ・エディション [DVD]
アイズ ワイド シャット [DVD]
半落ち [DVD]


ネタバレあり;
青空に一番近い場所」いい映画だった。どーしてヒットしなかったのかな?あたしは基本的に天使モノがすきだってのもあるけど、とっても上手く作られたいい映画だった。
半落ち」あー、あの上手い役者が吉岡秀隆だったんだと後で気がついた映画。なので見直した。裁判のシーンでは二つのテーマが対決する。判事は「魂が壊れると命でなくなるのですか?」と寺尾に対立していくのだけど、あたしはこれは「人間でなくなるのですか?」という意味にとった。ただ監督がこの言葉を使えないというのはよくわかる。これを吉岡に言わせていれば寺尾の愛が負ける。そうすると、この映画が壊れかねないわけで、寺尾の愛の苦渋、苦しみ、苦境、決断、孤独をいろいろ考えてもらいたかっただろう監督としては、この分かり易い言葉を使えなかったのかな、と推理。
海は見ていた」これももう一度見直した。脚本、黒澤なんだあ。若侍の役は吉岡をイメージして黒澤監督が書いたそうだけど、むしろ、「赤髭」なんかにでていた若い加山雄三?なんかだとピッタリくるけど、なんともはや吉岡演じる若侍だと、あのシーンはあたしはショック死しそうになるし、痛くて直視できなくなるし、、、、黒澤監督だとどー撮ったんだろうなあ。
後、これが黒澤が最後に撮ろうとしていた作品だと知って、思い出すのは、「アイズ ワイド シャット」。巨匠スタンリー・キューブリック監督の遺作。二人の世界的な巨匠が最後に撮ろうとしたのは、ある意味、女性賛歌であるとおもわれ。なんつうか、彼らは、ごくごく平凡な女性たちが持っている珍しくもない、アレ、あの平凡で愚鈍で開き直ったようなたくましさ、強さ、みたいなものを描きたかったのではないのかなあ、とおもうのだ。「アイズ ワイド シャット」では倦怠期の夫婦のあれやこれやが最後の妻の「ファックしましょ」に集結されていき、「海は見ていた」では、遊郭のあれやこれが最後の「あたしは残るよ」に結実する。けれど、女のその庇護てきな優しさ、計算のない気っ風の妙を上手く描けきれたか、といえば、二作品とも決して成功しているとは言い難く・・とおもうのだけど。


吉岡秀隆の面白さは、「存在感のある役者」というより吉岡秀隆の存在感のなさであり、彼は役の中にたたずんでおり、だから満男や純やコトーや茶川や高志(学校2)やルート先生のような役名で呼ばれることになる。彼がドラマのなかに強烈に創り出してしまう世界は、「リアルだ」というより「言及された(メタな)現実」である。
心に染みてくる吉岡の声とせりふ回しは、世界にはわかりにくく通じにくいのかもしれないなあ。おまけに情けないキャラはハリウッド的には克服すべきもので愛されるはずもなく。(なんか又アジア映画祭だとかで彼だけ(堤さんと薬師丸さんはノミネート)はじかれてるもんなあ)。

吉岡ぁ!何でもイイからちょい役でもイイからなんかドラマか映画にでてくれよー!コトーに会いたいよぉ。(;;)