『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
帰省中のRが「これおもしろいよ」と渡してくれた。道中に読んだそうだ。マンガ以外の本を借してもらうのは始めて・・。
で、面白かった!

シュレーディンガーは「生命がエントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる」のは何故かと問うた。わーお!ぞくぞく。シュレーディンガーが予言した「負のエントロピー」を取り込むという概念に沿って(そってかどうかわからないけど)、画期的な実験をしたシェーンマッハが新たな生命観を誕生させる。
「生物が生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も、低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」つまり、と福岡氏は言う。
エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷を受け変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分を会えて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことが出来れば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。つまり、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり、流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。」
これが福岡氏の私的な?生物科学史?に沿って面白可笑しく誰にでも分かるように書かれている。
ただ、その後の彼の研究で、ES細胞をつかってノックアウトマウスを作るあたりからは、「うーんと・・クローンつくって実験したってこと?」などと思いながら読むのだけど、生物学の知識皆無のわたしには難しすぎて、要領がつかめない。
そうして、彼はこう締めくくる。
「私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ。」と。なるほどである。
しかし、彼は突然、ふいに胸をつかれる宣言する。
「結局、私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである。」
どうゆうことなんだろう?倫理的な限界のこと?生命にたいするおののき?単に研究成果にたいする感想?なんとも悲しいのである。