「THE BRAVE ONE」

ブレイブ ワン [UMD]
見終わって、「言葉がでない、何も言えない」とあたしは思う。
それは何故かと考えた。

ジョディ・フォスター(エリカ)が「私刑」に至るのは恐怖と怒りである。あたしは、同情しながら見ていたと思う。
そのエリカが、一番、動揺したのは、リスナーの電話で「イラクの教訓は?悪人は殺せ?」と言われたときだと思う。それは人が私刑を止め、法に従ったときの感情や理性を代弁しているようである。

エリカはなにもかもわかって私刑をやっている。けれど、自分を止めることができないのだ。

9.11のとき、アメリカがアフガンに攻め込んだとき、アメリカの放送などをみていて、エリカの感情と同じものを感じた。あのときわたしは「戦争反対」と単純に言えなかった。言葉がでない、何も言えなかったのだ。
エリカの恐怖と怒りに対抗できるナニカが見つからないように、戦争反対とか平和とか(暴力はいけない、復讐はいけない)の叫びは、恐怖や怒りをいさめるのではなく、絶望的な孤立へと追いやるだろう。

たぶん、人は、法を反省的に、事後的に持ったのであって、エリカのような恐怖と怒りに対抗するナニカをまだ見つけていないのだとあたしは思う。それが見つかれば、戦争はなくなる。でも、ないんだろうなあ。だから人は、国は、利害の調整や法のシステムの強化や変革をがんばっている・・。