恋する松潤「夏の恋は虹色に輝く」(3)

「夏の」第3話を見た。よかったぁぁぁぁぁぁあ!(オン−タイムで見てるのは、これと「熱海」と2つなんだけど、2つともあたり!)

「夏の」の見所はあたし的には、草食系男子(まあ、恋愛にあっさりしてるくらいの意味。くらいで)の、恋の進め方とは?みたいなことなんだけど、前から、女に対して、粘らないつうか、空気見過ぎなせいなのか、優しいんだけど、なんだかなあ、とおもっていて、そらあ、本読めば、恋愛は欠如aである(ホントか?)とか、「愛してる」なんて、哲学的には証明不可能だぁ、とかさ、そんなことが今どきの男子の頭をかすめてたとしても、恋してドキドキしたりせつないなあ、くらいのことは永遠になくならんしょぉ・・。んで、彼らに女をつかまえてもらうにはどぉ、言ったらイイのかなあ、ってちょっとおもってて・・。

んで、こちらのドラマの大雅くんですが、昨日は、詩織さんに2回も告白しました!『映画ジャンル論』(加藤幹郎)という本に「スクリューボール・コメディ」という括りがあって、「赤ちゃん教育」等々の映画をいうわけですが、つまり、相手の男性が確固たる生活スタイルに閉じこもっていて女なんて面倒とおもっていて、ところがそこにちょっとぶっとんだ女が真っ直ぐに男にせまっていくわけで、男は少しずつその安定して安全な世界を崩されていくつうラブコメなんですが、「夏の」はその男女逆転パターン的だと。

で、草食男子には、(触れなば落ちんみたいな女はそもそも、草食系を好きじゃなかろう、というあたしの独断があるんだけど)、友達にしかなれないような自分の確固とした生活世界をもっているような女性があうだろうな、と・・まあ、思い込み以外のなにものでもありませんが。

で、本家本元のキャサリン・ヘプバーンは、真っ直ぐに進む力を感じさせて、ケーリー・グラントは、確固としているけど軽妙・・という絶妙なコンビなのだけど、加藤氏の本では、このジャンルが廃れたことを時代背景で説明しているところがあるけど、でも、あたしは、ケーリーさんの確固としてかつ軽妙という軽業師みたいなバランスの役者さんが以後、出てこなかったからじゃないのかなあ、とかってのはどうだろう・・?

んでもって、だから、あんたたち(誰に言ってるかはナイショ)、「これはちょっと、無理・・」つう自立した堅牢な女性に対して、大雅くんみたいに、真っ直ぐな目で「すきだ」と言いなさい。