『蹴りたい背中』

蹴りたい背中
綿矢りさ
始めの方、前半部は作家が文章に凝ったのか練りに練ったからなのか、なんだかあたしはリズムにノりにくく・・。but、後半部がすごい!イイ!面白い!
「川の浅瀬に重い石を落とすと、川底の砂が立ち上がって水を濁すように、”あの気持ち”が底から立ち上がってきて心を濁す。いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで。足をそっと伸ばして爪先を彼の背中に押し付けたら、力が入って、親指の骨が軽くぽきっと鳴った。」
このハツの「いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い」気持ちとは、性的なものでしょう。弱冠19才の綿矢りさという、ただもんじゃない作家は、少女のある夏の日の眩暈のようなリピドーを描くにあたって、「にな川を蹴りたい」と言わしめるのです。
にな川を苦しめたい、痛めつけたい、蹴りたいなどというようなサディスティックな衝動は、男子の未熟な性の始まりとして誰しも経験があったり、(女の子なら)それに腹を立てたり傷ついたりしたことがあるはず。しかし、高校生のハツは(男子の専売特許と思われていた)幼いサディズムをにな川に抱くのです。本を読み終わって、あたしはこの幼いサディズムを知っているだろうかと自問してしまいました。(フロイトに馬鹿だと言われるのかもしれませんが)「ある。」と思いました。あたしはときどきたるみきってぼんやり突っ立っている夫の背中やお腹に蹴りを入れることがあるのです。もちろんこの蹴りは二人のゲームとしての了解が成り立っていますし、夫は、あたしの足の蹴りを防ぎます・・。(なぜだ?)あたしが蹴りを入れたくなるそのような衝動はやはり性的なものを含んでいるでしょうと改めて思い至りました。
いやあ・・いま、どうも、ものすごく若い子の小説がどうやら面白そうだと思い始めました。