miyadai氏のアジア

宮台真司氏の「亜細亜主義北一輝」に寄せた文章*1を読んで、連想などを。

原理的なものを持たない日本の「もののあわれ」などいわれるような「美しく哀しい日本の魂」について云々するのは、戦後日本が、アジアに対して容赦ない経済的侵略をしてきたことに対する再考の請求であって、アジアにおける共生の道の基盤足り得る精神だと宮台は言っている。と読んだ。
けれど、アジアに向かい、アジアの美的な魂を語るのはよいが、日本社会に向かってそれを言った場合はかつての「帝国主義ナショナリズム」に逆転するしかない。(柄谷がそう言ってる)。
もちろん、宮台氏はそんなことは承知で煽っているのだろうけど、「亜細亜主義北一輝」の後半では、日本の魂であるところの裏面?「なし崩し的にそうなる」をなんとしてでも破壊したいようにも読めた・・。違うかしら?(もう一度読みたくない)。あ。なるほど、反動的な考え方に吸収されないためか・・?

最近の宮台真司はすきだ。超越論的な視点からものを言う人ってすきだよ。