miyadai氏のアジア

宮台真司氏の「亜細亜主義北一輝〜21世紀の亜細亜主義*1を読んだ。今、彼が「日本の近代について問いかけなければならないのは何故なのか?」「日本のアイディンティティを問うとはどういうことなのか?」。
(ここを読む限りでは)後半の北一輝は「(理想主義者の)ネオコン」のようではないか、というひとつの印象。「原理的ではない自由主義が脈々と息づいている国としてのアメリカ」に占領された日本人は潜在的アメリカ人になっていたのではないか、という質問。アジアがこうも熱心にアメリカを見つめ続けているのは、経済的なブロック圏ということだけでなしに、それがアメリカの「自由主義の浸透=(大東亜共栄圏)」であるとしたら*2。現在における北一輝は抗米ではなくアメリカの申し子となる。

もちろん、その「美しいアジア」を志向し・続・け・る精神のあり方こそがアメリカによって閉塞したアジアのなかでこそ、もう一度呼び出されなければならない視線であり、「原理的でない自由主義」であるのかもしれないが。
(「変える自由」があるアメリカという幻想があたしにはある。そして、「なにも暗くなるこたあない」とあたしは思う。)

*1:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=67

*2:亜細亜主義アメリカの自由主義の影響ありという話しを読んだことがあるわけ。