男女共同参画社会

男女共同参画社会基本条例について話題になっていてそこから林道義というかたのHP*1を見た!うぅ・・・。かかわりたくねー。どんだけすんごい学者さんがこのかたと議論したとしても「水掛け論」にしかならない、予感。
しかし、「男女共同参画社会*2」とは、市民であるところの男女が、政策、方針の立案等に共同参画していくってことなわけらしく、ということは「自分こそが正しいんだ」と主張する様々な考えを、自分たちで調整する必要があるのかい?調整するということは、多様な立場における不公平を減らそうとする試みなわけしょ?・・・・うわあ(誰か、あたしの理解が違ってる、と言ってくれぃ)。

(続き)
あたしの住む町の「男女共同参画社会基本条例」なるものはどうなっているのか、ここ※*3を見ていると心配になって検索。役場の「町の総合計画」というページで「男女共同参画社会」というコトバが一つ見つかった。まっとう・・。

転載
一人ひとりの個性・創造性と住民主体のまちづくり
人びとの価値観もモノの豊かさより人と人とのふれあいなど、心の豊かさを重視する方向に変化してきており、経済的な豊かさとともに、それによって生涯にわたる一人ひとりの生活を豊かにするしくみをつくっていく必要があります。
個人一人ひとりが自立して、年齢や性別、障害の有無などを問わずに、それぞれが持っている能力や個性に応じて社会の中でさまざまな役割を果たし、意欲的に社会参加できるような、公正な機会が保障された老若男女共同参画社会をつくっていくことが重要になっています。
生涯にわたり学び続ける意欲を持ち、豊かな創造性や広い視野を身につけ、自分自身で考え、選択し、行動する能力を持った人材の育成を推進することが必要になっています。自らの生活や地域を見つめ直し、住みよい地域をつくっていこうとする一人ひとりの努力を尊重するとともに、市民活動団体やボランティアなど、住民の活動によって地域を豊かにしていくことができるしくみをつくっていくことが大切になります。

あたしがなんで心配になったかというと、たとえば、学校の父母会でクラスのイジメや崩壊なぞが問題になったとき担任が女性教師であれば、必ず誰か一人は呟く。「男の担任だったらねえ・・。(そうだと良かったのに、という意味)」。これらの「俗情」は陰に陽に村を跋扈していて、もし、こうした俗情を一般化する頭のイイおやじが一人でも居たら、差別意識からというよりは、不安を解消してくれる頼もしい意見のように思うおかあさんたちはかなり居るかもしれない。
けれど村の現実は、99.9%(いや、つまり多くの人)が共働きであり(食べていけないからという人も多い)、又、母子家庭、父子家庭もたくさんあって、ゲイのカップルもスーパーで仲良く買い物なんぞしており、一人暮らしの老人も多く、たとえば「男女の特性を認めつつ(荒川条例)」は「AおよびA`の特性を認めつつ」というほどの意味になる。わが村の行政が多様な個々人、多様な文化を認め、公正な機会を保障しようと努める、と立案するってことは、現実をわきまえてるからなのか、それとも、「法的というか行政的な中立(公平)」とはこういうことなのか・・?
とするとかの人は、多様性というようなものが、経済の発展・均一化(世界的な)を阻害する、とでもいう風なことを考えていらっしゃるんやろか・・?それとも、貴族政治のような形態・・いや、というか「正義や理想」という「枠」をあたえんば世の中が壊れる、と言いたいのか?まあ、あたしではなにがなんだかわからん(何か政治的な考えがあっておっしゃってると思うけどわからない)。

*1:ttp://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/

*2:http://www.gender.go.jp/9906kihonhou.html

*3:ttp://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/