ガキの教育

「子供の首を真綿で絞めるかのように」育てようが、「手をかけず目を離さず」育てようが、なんだってアリでしょう、と思う。子供は小学校の上級生、中学生くらいになるとたぶん基本的には何でも分かるようになるんだと思う。ただ、その頃の子供というのは知識の量が少なく偏ってもいて、まともに話そうとすると子供の馬鹿さ加減にうんざりする。それが高校生くらいになると突然、風通しが良くなる。相対的な物の見方をするようになる、と感じられる。子供によっては逆境になってしまうこともある様々な環境の中で「相対的な物の見方」さえ身に付いていれば、子供は負けないはずだ、とわたしは(今のところは)思う。
そして浅羽通明(『教養論ノート』)の言うとおりだと思うのはエンコーしていた(どーでもイイじゃん派の)女子高生は「自由の刑」に晒されていたようにしかわたしには見えないということだ。美意識とか個人的な規律によって身を律っさなければ、生きがたい。浅羽氏が最終的には絶対主義的に何かを選び取れ、と言うとこはフーコーと重なって見えないだろうか。
「相対的な物の見方」の手ほどきを小学生の時からやることは可能なはずだ。なにも愛国主義的な教育改革(政治家はフランスをめざしてるんやろか?)に敵対する子供を作り上げろ、とか言ってるつもりはないよ。ただ、小学生の時分に「幾千、幾万もの考えかた」があるんだとイメージできればイイんだから。「世界は広い、頭の中はもっと広い」しょ。