*1を買おうかと思ったけど高いなあ。
江原さんやレヴァインさんについて何一つ知っているわけではないけど、いまあたしが考えてることと繋がってくるのでちょっと思いを巡らす。子供たちは(今も昔も)こっそりと隠れてセックスするだろう。「いいじゃん、それで。好きに楽しめばあ。」とあたしなぞは思っていたけど、(中高生に)ベイビイが生まれた、というようなリスクが発生したとき、子供は周りに助けてもらいながらでも責任を取らざるを得ない。また、「好きにしなさい」と言った以上、性暴力の問題も発生するかもしれない。こうしたリスクを軽減するのには「道徳的保守的な共同体による規制」が有効なのか、あっけらからんと「法」で脅しをかけたほうがイイのか、そのヘンの対立があるらしい。良心を焦点として考えると、さしずめ「良心」とは個々人に内面化され個々人を律するものなのか、共同体的な抑圧もしくは脅しなのか、って案配かな?
でも、とにもかくにもこれらの対立が補完しあって大人の恐怖を煽っているってなら、ほんとバカバカしいしょ。法律としては、結婚は16才からで性暴力はきちんと取り締まる、とそれでイイじゃないの・・。わからんけど。
あたしは中1の頃だっけかな、「どうしてあたしは犯罪を起こさないのか」と考えたことがあって、「それは監獄にはりたくないから」だと思った。そのとき「良心からです」というような答えも同列だと思った。なんでこんなことを思い出したかというと、ここには(上のような)対立がないと思うから。あたしにとって良心とは美意識、感情であり、それは個々人が選び取り、自己を修練していくもので、「自己決定」を支えるものだ。そこらへんのことは今も変わらない(でも内面化された規律っていうとなんかちょっと違うんだけど)。

(続き)イエーイ、暑いよ!26度もあんだよ!
上を読み返してみて笑っちゃった。あたしはやっぱガキンチョの母なので、(「好きにしなさい」といいながらセックスのリスクとそれにまつわる責任を匂わせて)脅しをかけてるなあ(笑)。この「脅し」にはあたしの美的な倫理観も入り込んでいる。しかしリスク情報の提示(脅し)には、社会の意向や空気(学歴社会とか)、に、あたしはわざわざ逆らいたくはないって、ことが入り込んでるんだなあ。
あちゅい。