『人を殺してみたかった』藤井誠二


(文庫本のほう)を読んだ。
印象に残ったこと。彼が罪責感を持てずにいるらしいこと。彼が非常に理性的で、しかし、共感能力(想像力)といったもの―ルソーによれば生き物が持っている基本的なもので理性と感情の繋ぎ目らしい―を持ち合わせていない、らしいこと。殺人は突発的に行われたのではなくて考え直す時間があったこと。
あたしの軽率な独断だけど、彼は(いわゆる文部科学省がいう「生命の尊さ』というような)社会的な規範をよく理解、認識していたと思う。「社会的な規範」とはいわゆる「良心」と言っていいでしょ?でもここらあたりのことが問題で、たとえばあたしにとって「良心」とは自律的なもので(晩年のフーコーが自己規律的な様態を考察していたけど、その獲得プロセスを形式化しつつあった思われ、彼が生きていればどうゆうことを言っただろうなあ・・)。
たしかに良心とは「社会的規範の内面化」には違いなく、しかし「他律的」というとき、なにかを覆い隠してはいないだろうか?何故なら「良心が他律的なものである」ということで済むのなら、確かに「心の教育」とやらやら「生命の尊さ」を教えれば事足りる。だけど、そーじゃない(それでは何かヘンだ)ということは直感的に親は思っていないかい?