ポストモダンな自己肯定

あたしは加藤典洋氏の本もノブ氏の本も読んだことがない。的が外れているかもしれないけど(下に転載した)加藤氏の評論「奇妙に未熟な社会性」に対する感想。

転載(道新から)
大麻好きのロッカー兄ちゃんが大好きなおばあちゃんの介護にいそしむモブ氏の受賞作「介護入門」も、文体的には面白いが介護小説(?)としては自分に大甘の、珍妙な作である。この小説の美点はむしろこれまで社会と自分に斜に構え、「家と家族をのろい続けた俺」が、はじめてこの介護体験を通して自分の馬鹿さ加減に気づき、「世でもっとも恵まれた環境を授かった俺」へと転生している点にある。つまり俺って恵まれていたんだと言えるようになったこと、自己の肯定が、この作品の執筆により彼の授かっているご褒美なのだが、作家はそのことに気づいていない。その気づかなさに応じて、彼は、自分の自己肯定一辺倒の書きっぷりをもてあまし、「素」で他人の前に立つことに恐怖を覚える。私の見るところ、舞城氏が、他人の前に出てこられないのも、これに類した事情ゆえであって、現今の有望な作家の特徴は、社会性が奇妙に未熟だということである。

ヘーゲル東浩紀氏がいうように現代人が「他者の欲望を生き、ポストモダン動物化」を果たしているものなら、その主体性のない自己は(丁度、blog*1などでのやり取りがそうであるように)他人の評価に依存し妄想を押し広げ、傷つきやすく、他人との関係は針のむしろでしかない。そうしたときの「自己肯定」はナルシスのように他者との関係を排除するものではなく、ましてや甘えなどではさらさらなく、「自律的な自己」を育てる第一歩ではないかと思う。自己肯定することによって自己の内面を積み重ねてくしかないではないか。自分を肯定出来ない者が人を愛せるはずがないのだ。そして自分を肯定するとは「他との関係の中」でしかあり得ない。

*1:※ネット上のやり取りでは自分の考えや疑問を書くことが多いので必要以上に他人の評価や承認に敏感になり、顔が見えない分、妄想や想像がふくらみやすいと思う。「他者の承認」を求める気持ちを倍加してしまう装置かもしれない。