「存在の耐えられない軽さ」


フィリップ・カウフマン監督*1
あたしはこの映画を見ていなかった。早速レンタル。

ガキの頃とはいえ、リアルタイムで「プラハの春」とソ連の侵攻を見て悲しんだあたしとしては、トマーシュがサインを拒む―そのせいで彼は医者を続けられなくなる―シーンがとても興味深かった。彼には政治的な信念があったというわけではないのだが共産党を皮肉った(らしい)文を書いた。それの撤回声明書?にサインを迫られるのだ。そして、実に軽々とサインを拒否した。トマーシュの軽やかさは政治的な信念や理想が欠如していることの現れであって、しかし逆にその欠如ゆえに倫理的にみえる・・。
トマーシュは窓ふきの仕事、そして農夫に転職―その事情を皆が知っているような、占領下の何かしらの連帯意識があったのだとしても―医者をしていたとき同じように軽やかに自由にそれらの仕事を楽しんでおり、それはたぶん、彼は理想や目的といったものから自由な人なのだ。この映画はそのせいでいつまでたっても古く見えないだろうと思う。

彼は、どんな仕事をしていようと仕事につきまとう陳腐さと退屈さと、困難を楽しむだろう。彼は最後に「しあわせだ」と言った。かれは女からも自由になったのかもしれない。