時代の申し子

「すきなようにやりたいことやればいいんだよ。仕事なんてどこにだってあるんだから。」・・と、かつては子どもに言っていたけど、今、このひどい就職難!おまけに就職しても先のことはわからない。
たぶん、高度成長期が終わろうとしていたとき、資本主義は常識に囚われない型破りなタイプを求めていた、ときがあった、と思う。ところが今わたしは「勤勉たれ!」と口走りたくなる。つまり資本主義の心情的側面(倫理的な側面)として、いまは、とても功利主義的であって、かつての高度成長期末期はどこかアナーキーで自由な感じがあった、と思うな。それは市場経済グローバル化によるポスト工業資本主義社会化へということでもあるのだろう・・。

宮台氏が書いている。

転載
家庭崩壊、学校崩壊、地域崩壊も当たり前になり、日本社会はもはやズタズタの状態です。日本の社会システムは崩壊の危機に瀕し、そこに生きる私たち1人ひとりの「こころ」は、うまく適応できなくなっています。

この田舎に住んでいるとどうもピンとこない。家庭崩壊?なにが崩壊しているのかわからない。もちろん、家庭、家族の在り方は変わっていくだろう。それが崩壊なのだろうか?子どもが親から生まれてくる以上、家族ってなくならない。子どもが親なしで生まれるシステムが完成しないかぎりなくならないよ。
ただ、要するに、、子どもを功利的な心情へと駆り立てようとしているように見えなくもない。