文字では救えない逸脱

NHK「世界のリポート」を見た。イランでは性別の変更が宗教上、法律上、認められているそうだ。

(BS−NHK)世界のリポートから
イスラム国家イランでは、性別の変更が宗教上、法律上、認められている。その決定は40年ほど前、イスラム革命の指導者ホメイニ師によって下された。聖地コムの有力な聖職者の一人は、同性愛は許されないが、性の選択は個人の基本的人権として認められると述べている。実際イランでは、他のどの国よりも多くの性別適合手術が行われている。ある専門医は「過去12年間で320件の手術を行った」と述べている。すでに手術を受けた人、これから受ける人の取材を交えつつ、イスラム国家イランにおける性別適合手術の現状をBBCがリポートした。

↑という内容のドキュメンタリーだったのだけどちょいと考えこんじまった。イランでは、どうやら宗教上、法律上、同性愛は禁止であり、性別がどちらかに決定されていることが大事、らしいのだ。つまり、同性愛は性同一性障害という「病気」である、と見なされ、「病気であるのだから性別適合手術をして直せばいい」という考え方のようなのだ。イランは異性愛至上主義とでも言ったらいいのか(いや、ま、どこの国でもそーなのかもしれないけど)、それをイランは目に見える形として明文化しちゃったのだなあ・・。確かに、ある意味、差別や苦しみを減らすという効果があるのかもしれないが、しかし、恐ろしい法律だな。
「性の選択の権利」を明文化したかわりに、「性の形態の自由」が奪われることになったわけで、ここから見えてくる「性」とは、つまり異性愛至上主義なのだが、だからこれはイランの現制度、堅持なわけだ。それは、異性愛中心主義からの多様な逸脱を阻止し、息苦しくし、適合手術へと追い立てかねない、のではないかとあたしには思え、手術の数の多さというのはそういうことなのではないかと推測してしまう。