嗤う日本の「ナショナリズム」
「歴史を理念からみる」という−ヘーゲル的−構造を持つ本だったと思う。
しかし、その歴史を駆動するかのように見える理念は、北田暁大氏によれば「否定(反省)」の理念である。なるほど、歴史は終わらず、「非歴史的」という「物語」が取って代わっただけなのかもしれない。*1
終章に「ローティ的アイロニーと対応する戦術を打ち出す宮台氏」についての批判がある。そこをながめながら、宮台氏と北田氏の違いは煎じ詰めると「民主主義」と「自由主義」の対立ではないかな、と考えた。「ロマン主義を成熟させていくための自由主義」と言うのだから。*2
「それでもなお絶望せずに思想を語り続けること」
霧がはれていくかのような言葉でもあり、そして胸にぐっとくることば。