「ゆとり教育」を考える

ゆとり教育−評価しないが65%」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050328ddm001040048000c.htmlというのにでくわす。

息子二人の歳が離れているせいで、90年から2004年の間、小中学校にお世話になった。上のこどもの在学時は「ゆとり教育への過渡期」で、下のこどもは「ゆとり教育の時代」って感じかな。でもってそうゆう学校の変遷を見てきたあたしとしては「評価せず65%」なんてのを見るとちょいと、考えてみたくなる。

97年に「サカキバラ事件」が起きたとき、息子は彼とおなじ14才だった。あたしは、あの時、犯人が14才だと聞いて納得したんだな。あの頃、サカキバラ直前ってのは、表沙汰にならなくても中学生の暴力事件があたしんとこの田舎ですら頻発していた。教育TVではこどもたちが「受験競争の過酷さ」を訴えていたし−田舎ではすでに過酷な受験競争なんてものはなくなってたけど−なにもかもが「ゆとり教育」の推進に拍車をかけていたた時期だったよ。あの頃、学校はどうにもならなくなってた。みんな、忘れちゃったのかな?

90年代、学力を獲得すること(高偏差値の学校へ行くこと)的な価値や意味が崩壊し、それでも学校制度が押し付けようとしていた従来の学力偏重(=学力観)の抑圧にたいしてこどもは身の置き所をなくし、過剰に攻撃的で緊張した雰囲気がうまれていた。

上の息子が中学の97年には、クラスの半数近くがいわゆる「お客さん」で、授業についていってなかった。ところが下の息子の02年から04年あたりの中学では「お客さん」は居なくなっていた。最低限の基礎を教える、ってことが、それまで授業で置いてかれてた子どもへの手当を充実させ、補助教員もついた。出来るこどもはまあ、自分でどんどん行けつうか、先生も「お、もう終わったか。じゃ、次のプリントな。」ってカンジだったけど。

だから、97年以降、文部省は、多様化しつつあった(もしくは壊れつつあった)、「学力を獲得すること」の従来の意味や価値に対して、「いろんな価値観があっていいですよ」って肯定することで、こどもたちの居場所を作り、学業に興味を失いつつあったこどもたちに・最低限・の学力をきちんとつけさせようとしたんだと思う。

ゆとり教育」が推進されるにつれ、こどもは急速に猫みたいにおとなしくなった。あの寺脇研氏って、凄腕だったってあたしなんかは思うよ。

あたしから見れば、「ゆとり教育」って、決して「知識」が大事じゃない、って言ってないし、そういう次元のはなしじゃないんだと思うんだよね。苅谷氏の本(なんて題名だったかなあ)も読んだけど・・。自分で考える、とか、じぶんで判断する、ってときだって、その根本に知識があるのじゃないか?って話しはごもっとも、だと思う。だけど、「ゆとり教育」が為したことと関係ないと思うんだけどなあ。

じゃなくてもっと、「ゆとり教育」の功罪を考えるってのならわかるけどな。たとえば、「ゆとり教育」は文化階層を強固なものにし、流動性を減らすとか・・?それを多様な「好きなこと」という価値観で弱めようとしたのかな、とか・・?でもってそうしたことへの対抗策としての「学力低下論争」だとしたら、どっかヘンなんだよ。