限界からの逃避

下の続き。

http://d.hatena.ne.jp/eco1/20050330さんとこのリンクを通してArchives - 内田樹の研究室を読む。あたし、苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ-』という本を読んでなかった。面白そうだ。


苅谷さんは97年の統計に表われたこのような「ねじれ」は1979年段階では見られない点を指摘している。階層間で自己有能感形成のメカニズムに差異が生じたのは、ごく最近の現象なのであり、それは強化されつつ進行しているのである。そこから導かれる暗澹たる結論は次のようなものである。
「結論を先取りすれば、意欲をもつものともたざる者、努力を続ける者と避ける者、自ら学ぼうとする者と学びから降りる者との二極分化の進行であり、さらに問題と思われるのは、降りた者たちを自己満足・自己肯定へと誘うメカニズムの作動である。」(211頁)

ウチのガキを見てて、まえに吊された夢 - knoriで考えてたんだけど、「学ぶ姿勢」というのは生き方の問題なんだよね。でっかく考えれば、政治的な方向性とも絡むだろうけど。
んで、つまり、こどもが自分の進路方向を見定め、そのため行動を起こし、ガリガリ勉学にいそしむとか、といったことは、自分の限界を見定め、場合によっては、可能性を断念し、自己を否定することになる。
だから、こどもは「わたしってこんな程度だな」と自分に枠をはめたがらない、モラトリアム的に、アイロニカルにたゆたう。そうした「限界からの逃避(=可能性の保持、自己肯定)」は、逆に、教育現場で、「やる気」を志向する雰囲気によって補強されるのさ。

※あたしの悩み
下の息子はもうすぐ高2になるのだけど、偏差値74(全国模試)くらいなわけ。でもって彼は、塾はおろか参考書も問題集もいらないと言う(教科書だけなんだよね)。あたしは心配。でもこういう成績なわけで、あたしは指をくわえてみてるしかないわけよ・・。まあ、どうでもいいや、とあたしは思っうしかないわけ。