小野田さん(1)

「生き抜く 小野田寛郎*1を見た。
小野田さんのインタビューに感動!

中野学校が作戦の遂行、目的達成のために、物事の原因や成り立ちから教えるというようなある意味アナーキーな教育を行っていた、らしいということがうかがえて、びっくり。小野田さんはあまりにも優秀だったために戦い続けたようなもんじゃないか・・。彼が何故ルパング島で戦い続けたか、という話しを聞いてあたしが感動してしまうのは、「個」に対する「公」の優越、その聖性ではないのか?放送の中ではそれが「サイバイバル」ということばで処理されていくのだけど、たぶん、あたしが心を動かされたのは彼の自己犠牲を賭したゆえの聖性なのだと思う。

しかし、小野田さんほど自由人で独立心の強い人もいないのである。
これはどういうことだろう?

もしかしたら、(大戦時の)民主主義の根幹には単独的な自主独立の自由な精神があるのではないか?

小野田さんは横浜の少年が金属バットで親を殴り殺したニュースを聞いたとき、もしかしたら、若い日の自分と重ねて、理解できるところがあると思ったのかもしれない。「どうして殺す前に家を出なかったのかと思うんです。わたしは15の時には家を出てるから事なきを得てるんです。」

彼を思うとちょっと泣けてくるのだけど、彼のような自由闊達な独立の精神はたぶん大正、昭和初期の雰囲気ではないかと思うところがあり(あたしの両親がそーなんです)、しかし、そうした時代の精神が戦いを引き寄せていったのではないのか、と思うのだ。