家族/機会の平等

あたしの家族は、学校、仕事、病院・・etc.といったものに取り囲まれている。あたしというものはこうした社会システム(教育、医療、労働・・)と繋がった「家族」のなかで作られ、夢をみる。それが「管理型社会」という統治なのかもしれない。

昔は、家族の者の健康に配慮したり、家族という最小の共同体を維持するための諸々のワークを女性が担っていたが、いまでは、育児、介護といったものに、福祉サービスや福祉産業が関わるようになっている。そうした福祉政策は保育所不足や企業の子育て支援のあり方や、介護、という様々な問題を抱えている。しかし、こうした介護や子育て支援少子化を巡る福祉問題は「階級格差」を露わにしない作用があるだろうなと思う。

つまり、だって、実際に起きているのは、貧乏な者にとって、結婚を契機に(子どもを含む)家族を作ることに困難が生じているということだとあたしは思う。共働きでないとやっていけないとき、子どもを持つのはたいへんだ。あたしは保育所の迎えや、遠足や、予防接種やら、残業のときやみんな母にやってもらった。フルタイムで働いていたから。しかし、都市型の家族というか、頼れるのが夫婦だけなら、難しいな、と思う。大企業の育児休暇にしろ、そういうあるレベルに居る者はまだなんとかなるのではないかと思う。

ここにあるのは格差なのだと思う。政府は、(この「格差」に)手厚い福祉政策で答えるには、国民の負担が増えるということを言っているようだ。しかし、新自由主義的な政府の政策が(均衡をもたらさずに!)格差を増大しているように見える。ここから考えていかなければ、焼け石に水じゃないか、という気がする。*1

*1:家族について考えながら話しがこうゆう方向に流れたのは、NHKの「日本のこれから、少子化」という放送をみたから。wほとんど番組の感想になっちった。