弱さを克服したくて殺した

先日の新聞に、少年が(なんの関わりもない)女性を殺しちゃって、その後、少年は殺人の動機を「自分はとても弱い人間で、弱さを克服したくて殺した」と言ったそうだ。「わけがわからんでしょ」とか「あう」とか呻いてたら、高校生の息子がのぞき込んできて、彼がいうには、「スパルタって国があったでしょ。そこでは成人の儀式に奴隷を殺さなければならなかったんだよ。」と、いうじゃない。あたしはたまげた。いや、スパルタに驚いたんじゃなくて、その犯罪者の少年に対する息子の理解とその発想に。「スパルタじゃ、奴隷の数は市民の数倍で、今、想像する「奴隷」というイメージとは違うわよ」とか、あたしはポイントをはずしたことをわめいたけど、息子もそんなことは知っているわけで、あたしと息子の間にはシラケドリ(ふ、ふるい)が舞った。

・・・(・・)彼(ら)にとっての「弱さ」ってなんなんだろ?
根本的に彼(ら)にとってそれは人や物事を「支配」したいという欲望なんじゃないでしょうか?それは「弱さ」とは無縁でしょう。あたしに言わせれば「弱さ」とは「助けて」という声です。だから、その犯罪少年にとってほんとうの弱さの克服とは、女性の「助けて」という声に気づくことだったと思います。攻撃的な「支配欲」をもう一度見直すことが強くなることだったんです、少なくともその犯罪少年にとっては。有り体に言えば、カッコつけないで人(彼にとってはたぶん女性)と向き合えることが「強さ」なんですよ。

どっちかといえば女にはあまり縁がない悩みなんですよね、この少年の悩みは。と思います。
男の子を育てていると、ときどき、ほんとびっくり!


追加:このエントリについてダサダサの説明。
このエントリは、(普段、少数のかたしか見てないってんで油断してたこともあるけど)、心の中の息子へ話しかけている、ということが明瞭になっていませんです。そこが問題のひとつ。
そして、今、彼に言うのは早いなと思いながら、息子の発想に対するあたしの驚きに答えをだそうとしている、わけです。そこが問題のふたつめ。
それでもわたしは、急に息子が心配になり、犯罪行為をダシにして(犯罪少年をダシにしているのではなく行為です。念のため)、これからの人生で挫折したときどう考えればいいのか、というような生き方の問題、人や物事にたいする倫理的な姿勢について、親としての信念を言葉にしたかったわけです。自分の欲望を倫理的に律していくことについて、是非とも確認しておきたかったわけです。だから、れいによって考えながら、考えるために書いているわけですが。

そして、あたしの関心はこの犯罪少年ではなく、息子にあるわけで、ましてや、一般論としての少年が置かれている社会的な背景や問題に焦点を当てる気ははなっからありません。この事件を(イメージ的にすら)再構成する情報も持っていません。だから、社会的な背景や問題という視点からこの犯罪少年について考え出すと、推測と想像がぶつかり合うだけで、埒が明かなくなってしまうでしょう。
最後に、
ふたつめの問題点については、コメント欄の(knori2005/11/24 14:30)で、きっちり反省しながらあたしとしては落とし前をつけております。