「マルクスと息子たち/デリダの遺言(3)」

マルクスと息子たち』を少しずつ読んでいるうち首が回らなくなった。ホントに右側の首筋が痛くて首がまわらない。(・・)

(「約束」「許し」「歓待」「贈与」には)、「可能なものと不可能なもの」が同居する。どちらかに傾くということは、現状維持のシニシズムに陥ることだったり、そうでなければ、全体主義的な抑圧に堕することだったりする。
「メシアニズムなきメシア性」「可能なものと不可能なもの」「憑在論と存在論」という差異において出発しなければならない。これはわかる(つもり)。
ラディカルな革命性と直結している「メシア性=出来事」。これもわかる(つもり)。しかし、どうやって・・。うぅ。あたまいたい。