ハローワーク(3)/学校的

夫と喧嘩をすると必ず言われるのが「役に立たない高い本ばっか読んでオマエはほんとに馬鹿だ」っていうもの。
あたしはネットを始める前(8.9年前)、一ヶ月で推理小説のたぐいを30冊から50冊読んでいたのだけど、彼はそうゆうマンガや小説のたぐいの本をあたしがいくら積み上げて読んでいても文句を言わないのだ。ともかく、あたしがすきだと称する哲学や社会学関係の学問的な本が彼は気に入らない。
「哲学ってなによ?一人の人間の考えにすぎないものだろ?一種の宗教だろ?」
あたしときら、(それらの本を)文句を言われながらついでに隠しながらもずいぶんたくさん読んできたのだけど、彼のそゆう非難に対して口ごもるだけだ・・・。ああ、がってむ。あたしと夫のギャップをおもうに、たぶん、あたしはとても「学校的」なのじゃなかろか?学問、知識の「深い」積み重ね、のようなものをあたしは「敬愛」しているところがある。
ここを*1読んだ。


だが、これを聴いた彼の学生さんが、同様に納得してくれるであろうか?
はたせるかな、我々が心配しているように、学生さんから「哲学はなんの役に立つんですか?」「哲学は、哲学が無意味であることを明らかにするためにあるんですか?」みたいな身もふたもない質問が出ている(p−227〜230)。これにも土屋氏は丁寧に答えているが、それで彼らを納得させる事ができたかどうか、やや疑問である。この部分はひょっとしたら、いつもの彼のジョークで、哲学をパロディ化して笑いを取ろうとしているのかもしれない。
私の友人の哲学教師で、講義のときゼノンの「アキレスと亀」の話をする事があるが、前半ではこれがなぜ問題であるかを説明し、後半ではこれがなぜ問題ではないかを説明すると言っていた人があるが、その際、前半部分で学生たちを納得させる事の方がより難しいようである。

絶対、夫は前半部分であきあきするはずだ。彼は学問の「深さ」を軽蔑しているのではないかとおもう。あたしが知らず知らずに(たぶん、小中学校のころに)染まった「学校的」なもの(職業としての学問)、に対する「尊敬」を夫は持っていない。学問を世間的に役に立つ、立たない、というような、私的な技術的、実践的な利害関係から見る人が多ければ、いまの学校の仕組みでは、学力の低下ってむべなるかな、だよ。

でもって、あたしは夫に相変わらず、「(哲学とか社会学って)すきなんだもん!」としか言えないのである。第一、こうして状況が変わって働くことになってみれば、8.9年のあいだに何か一つでも資格を取ろうと勉強していれば(役に立たない本を読まずに!)、よかったのだ、ということになっちまう。そうしていれば、もっとお金がもらえたり、もっと楽しんで働いたり、できたかもしれない、ということになる。
ふん。いいんだ、あたし。仕事に失望したことないから。