「生き延びるための思想」上野千鶴子
感動しました。*1
「市民権が国民国家との双務的な権利義務関係だとしたら、その義務の一つに、兵役がある」と書く上野氏は、その非犯罪化されている公的暴力(軍隊)は「市民概念の男性的構築と密接に結びついている」という。もちろん、この男性的市民概念から女性は排除されている、ということだし、DVや家父長制といった問題をもつ私的領域も「暴力」ということばによって公的領域と通底させる。*2
ここから、連合赤軍の永田洋子のミソジニーにまつわるはなしは圧巻。長年、自分でも不思議だったあたしの少女期の自己嫌悪、あたしは「男に尻尾をふった」のかあ。市民としての自覚に目覚めだしたあたしは市民概念の男性性にはじき飛ばされたのだ。いや、「ホモソーシャル」とかそうゆう概念から(男性の中にあるミソジニー)とか構築的にみていかなければいけなくて、ことはあたしの単純な実感(あたしがもつミソジニー、というより)、もっと複雑なんだろうけど、残念ながら肝心の「ホモソーシャル」の概念について知らない。
戦争は人類の99.9%に拒否されるだろうに(単なるカンですけど)、なぜ、無くせないのだろう?
上野氏は国家暴力(戦争)も「対抗暴力(テロ)」も拒絶する。*3
上野氏は「市民概念の男性的構築」を壊したいのだろうとおもう。この男性的ジェンダーは暴力と密接に結びつくのであり、絶えずわき上がるバックラッシュは、その男性性が「尊厳」や「崇高」といったものを根底に持っているからだ。と、読んでいてあたしはおもった。
だけど、「尊厳」とか「崇高」って思想なんだろうか・・?うん、思想かもしれないけど、、。
だけど、「尊厳」は切実に必要です。そうだ、暴力をもっと細かに分けることはできないのかなあ?たとえば「崇高」と結びつく暴力は危険だとか、、、うーん。
上野氏は介護にまつわって、どのような生のあり方を展開しようとするのか、、たいへんそうだなあ。
*1:生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠の通販/上野 千鶴子 - 紙の本:honto本の通販ストア
*2:前に、「弱さを克服したくて殺した」という少年殺人犯の言葉に驚愕していたとき息子がそれは理解できないことじゃない、みたいなことを言い、あたしはさらに驚愕したのだけど、あたしは、ここを読んで、ようーやっと理解したのだ。