独我論的な幼なじみ

彼女は幼なじみだ。十数年ぶりに突然、遠い街から会いに来た。彼女はほとんど一人でワインのボトルを空け、すっかり酔っぱらって、「長い間、xxちゃん(あたしの名前)に会うのが嫌だった。」と言う。「自分にとってのxxちゃんはキラキラしているはずでそれ以外のあなたを見たくなかった。」と言ってポロポロ涙をこぼしたのだけど、今日の昼前、彼女はあたしが働いている店にやってきて、汗だくになりながらおっきなダンボールを荷ほどきしているあたしをのぞき込むようにして、声をかけてきた。

彼女とは小学校中学校がいっしょだった。中学生の彼女はちょいと達観しているかのようで、非常に観念的で、「全ては自分の意識。あるのは自分の意識だけ」というような独我論てき感覚の持ち主で、当時、虚無感に苛まれていたあたしは、彼女が興味深くとてもすきだった。

いま彼女はペットと家族と暮らしていて、たとえば、いつ、ペットが死んでも離婚しても、自分は平気なんだと、あの昔の感じで話す。相手に対する愛情も、すべては自分の意識でしかなく、翻って言えば、自分の意識を愛おしんでいるだけだと。すべてはゲームで、彼女の感覚からすれば哲学はもちろん科学も学問もすべてゲーム。彼女のヘヴィーな主観的観念論にあたしは少し疲れ、彼女が「会いたくなかったあたし」にも、言い分はあったけど、どうも言い出せず、どうでもよい気分だったし、彼女が何遍も「いい?人はみんな独りなんだよ。」とくりかえすのにも辟易して、しまいにはあたしも酔っぱらった。

人はそれぞれ自分流に幸せであればいい。だいじょうぶ、あたしは君を心配していないよ。