『読む哲学事典』田島正樹(3)

読み終わる。
「意味のイデア的実在世界」に捕らわれることなく「越境的な精神の自由」を確保するための様々な(わたしの)疑問にテキパキと答えながら、この本は進む。そして終章間近の「本質と時間」へと認識のアーチが立ち上がる。

はずなのだが、ふと、思い出すことがある。パソのマウスでマンガ絵を描くときのこと。パソのペインターソフトは、一本の線を描くのにも、線の種類、タッチ、道具、etc.を選ばなければ始まらない。紙の上では意識無しに行っていたことである。「意味は後から見いだされる」のだ。けれど、もし、あたしがロボットなら、ソフトの上で「製作型存在論」なしには戸惑うのじゃないかしら?
あたしは関連している各章を読み直さなければならない・・。うーん、幅広く考えていいはずだし、「共通感覚と感覚質」では?対立、葛藤が調和するときの美、についても書いてあった・・。あと、どっかに・・、うーん、ダメだ。歳を取って、記憶力が消えた。しんじらんねー!
うーん、もうすこし時間をおいてから読み直すべし。