「ベニスの商人」

ヴェニスの商人 [DVD]

「私たちはシャイロックを『ヴェニスの商人』の額縁から外に連れ出してはならないのである。」と福田恆存が書いていた。

「この世はこの世、ただそれだけのものと見ている。つまり舞台だ、誰も彼もそこでは一役演じなければならない、で、ぼくの役は泣き男というわけさ。」と劇中でアントーニオが言うように、役柄の性格や心理といったもの以外に、古典劇には悪役や道化役や、の枠があるといってもよく、加えて当時の世情、商業資本主義の隆盛(?)、そして吝嗇家(金貸し)への人々の嫌悪、というようなものをシェークスピアは利用しているのであって、そのなかでこの劇を楽しみなさい、と福田恆存はいうのである。

それでもシェークスピアという天才は業突張りのシャイロックこういわせてしまうのである。「あの男、おれに恥をかかせた、・・・おれの仲間を蔑み、おれの商売の裏をかく、・・・それもなんのためだ?ユダヤ人だからさ。ユダヤ人は目なしだとでもいうのですかい?同じものを食ってはいないというのかね、・・・なにもかもキリスト教徒とは違うとでもいうのかな?ひどいめに会わされても、仕返しはするな、そうおっしゃるんですかい?・・・われわれ持ち前の忍従は、あんたがたのお手本から何を学んだらいいのかな?」そうして、法を楯に取ったシャイロックは額縁からはみ出し続けてきたのである。

その一つがこの映画ということになる。
(単純に感想を言えば)、業突張りでなおかつ反逆者としてのアル・パチーノが可哀相でした。ただ、アントーニオの憂鬱が同性愛者として片づけられているのだけど、アントーニオを「古き善きローマ」の理想?(同胞からは利子を取らない古き商業資本?)をめざす人物としたほうが、より、深みがでたのじゃないかなあ・・とあたしならおもう。
そうすんと、ラストシーンの夕日が(シャイロックに引っかき回されたことによる余剰)、「古き善き商業資本主義」の落日の美しさに満ちるではないか。