『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(城繁幸)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)
混乱して読み終わる。よくわからないんだよね・・。

つまり、年功序列より成果主義がいいよ、って言いたいのかな?でもって、昨今の不景気で年功序列が破綻し、取り入れられた成果主義制度は単にコスト削減(年功型昇給の削減)に使われているだけで、権限、もしくは利権は相変わらず年功序列方式になっている、と?

なんつうか、全体的な印象としては、つまり、仕事のやり方は、もっと、ペーペーでも権限を持たして予算も使えて、官僚型のトップダウン方式はやめれ、と言いたいのかなあ?とおもう。ここはとても気持ちがわかる。そのほうが仕事がおもしろいもんね。ただ、仕事の面白さと権力志向とは重ならないとあたしなんかはおもうけど。

ネットで学者さんの政策関係の論文なんかを読んでいると、年功序列型昇給というのは、不平等、格差というものがどうしたってでてきてしまう社会にあって、あらかじめなるたけ平等になるように仕事の場で賃金として配ってしまう、というものらしく、成果主義は、能力のある者が高賃金で、そっからたくさん税金をとって、格差に喘ぐ無能力者や不幸なものたちに配る(つまり、セイフティーネットなどを通して)、というものらしい。
もちろん、年功序列は、かつて非常に流動的だった人材をなんとかして会社につなぎ止めたくて、出てきたものらしい(これもネットで読んだ)。
だから、若者は、ここはきちんと考えねばならず、リベラル(自由主義)でいくと、成果主義なんだけど、もちっと、よい、再配分の方式はないものか、と、思いを巡らす必要があるんでないのとあたしならおもう。加えて、どの様な形が仕事をたのしくし、自分の権利を削らないのか、も。

ただ、(「昭和的価値観」に縛られているだろう)あたしがおもうのだけど、根っこにある「能力」ってなんだろう、と。
『能力」ってものは時勢によってその価値が上がったり下がったりコロコロ変わってゆくものでしょ?
『能力」の使い方ってことを考えると、教育を抜本的に変えなくちゃならないね。つまり、アメリカ型の成果主義に変えていくなら、自分をアピールする能力を養わなければならず、たとえば、なんーにも能力のないものでも、「あたしは人を和ませるタイプ。人間関係を交通整理します!」とか、、(笑)

能力って、、つまるところその時代時代の「文化」だよねえ・・。うーん、とすると、「適応する力」のこと・・かなあ?うーん、なんか権力闘争みたいなとこない?能力ってものには・・。