あの人のその後

”あの人”の不思議さについて何回か書いてきた。
ふと思い至ったのだけど、あの人は、コテコテの「やればできる派」なんじゃないかと。学校時代にたたき込まれる「キミタチは可能性に満ちている」とか「やればできる」とか「みんな潜在能力を秘めている」とか、の、本当にあるかどうか分からない能力についての文言。みんな程度差はあってもこの文言の信奉者じゃないだろうか?
たぶん多くの人は、この「やれば出来る(潜在能力)」という文言に踊りながら、焦りを感じたり、諦めたり、まあ、色々あるわけだけども、中には、この文言を「自尊心のよすが」にしてしまうことがあるんじゃないか。
自分の「出来無さ」に対して「やらないから、出来ないんだ」と言い訳をする。「出来る人」は「やるから」できるだけなんだ、と思うのである。つまり、こうゆう考え方をする人は、自分の能力の限界を認識できなくなる。(あの人のように)自分の能力について客観的な判断ができなくなる。・・・と、推理してみた。

確かにあたも、可能性って好きだけど、でも、ぶっちゃけて言うと、「それぞれが出来ることをやるしかない」とおもっている。「できる」も「できない」もしょうがないし、大差なし!だから人は助け合うんだし。

でもって、あたしが休みの間、あの人は別の人に教わっていたのだけど、その人を怒らせてしまったんだと。だからあたしはもう言わない、「なんで努力しないのかなあ」とは。ほんとおおおおおおおおおに向いてない仕事に応募しちゃったんだよ。