『日本の現代思想』(仲正昌樹)
朝、インスタントコーヒーを飲みながら、「随分と薄いなあ」と思っていて、ふと、マグカップをのぞき込むと、そこにはたんなるお湯がはいっていた。
そういえば、エッシャー(19日分)の生涯展も、記号とその文脈的演出ってことだったんだなあ、と思う。あたしが変哲もない雑貨をある文脈にのせてプレゼンして売る、ってこと、と同じようなことだなあ、と思う。
いつも思うのは、利休好み。彼のセンスは茶室って舞台(文脈)が必要だった。
決して、神だの教義だの、に従属するってことじゃなく、(良き者の演技をしたというポリスの公的領域における市民のように)、よきもの、うつくしいものという道徳的な様式を私という内面が求めてもいいと思う・・。そうゆう道徳的な様式、といった文脈は、各共同体をまたぐ公的機関を作り上げることに寄与する、と夢想。