「集中講義!アメリカ現代思想」(仲正昌樹)

集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 (NHKブックス)
掃除をしながら(よくもこれだけ手抜きをしていたもんだと我ながらあきれてしまう)少しずつ読み進んだ。




アメリカ」は、文化的アイデンティティや価値観の多様性を保持したまま、公共空間において市民として自由に振る舞うことの出来る、「自由な憲法体制」を強みにして、ネグリ=ハートの言うような<帝国>的な広がりを見せることができたわけだが、各人の`自由`への志向が強くなりすぎたがゆえに、「内部」における価値観、アイデンティティの対立が激化し、「アメリカ」という大きなアイデンティティの一体性がかえって揺らいでいる。(・・・・)
「自由」「平等」「正義」「共通善」などの抽象的な概念について、これまで自前の議論と言えそうなものを持たなかった日本において、アメリカの「リベラリズム」の哲学を学ぶことは、学問的な植民地化に貢献するだけのことのように思えるかもしれない。私自身も本講義を書き進めながら、時折そう感じた。しかし、「リベラリズム」の哲学が、`みんな`が合意することのできる「自由空間」を構成/再構成しようとする営みに不可避的に伴う逆説をめぐって展開してきたことを考えれば、`我々`にとってもいずれ、`アメリカのアカデニズムに特有の高尚な議論`として片付けることのできないリアリティを持つようになるかもしれない。

「各人の`自由`への志向が強くなりがちなアメリカ型憲法」に対して、ヨーロッパ型憲法、政治体制をルソーの契約論、共和制というキーワードから読み解きながら、`みんなのものである公的空間`のためにある程度の制約(不自由)を各人が我慢する、という「民主主義という平等」の話しを前に読んだ。(『民主主義という錯覚』薬師院仁志)。

・・・世界は、難しい。仲良くするのは不可能じゃないかとさえ思える・・。
というか、「自由」「平等」「正義」「共通善」などの抽象的な概念についてリアリティを持たなかった日本っておっかしいんだ・・。