韓流と「見捨てられ感」

サイボーグでも大丈夫 デラックス版 [DVD]
サンドゥ、学校へ行こう!VOL.1 [DVD]
(わたしの住む町の)レンタルショップには専用の韓流コーナーがある。rain出演の映画や韓ドラを借りようとして、つくづく見渡すに、その韓流コーナーには、中年(30代後半から50代)の女しかいないのである。

どういうことなんだろう?
考えてみた。

まず、(エリートを除く、多くの)女は、(もちろん、すべてわたしの独断と偏見です)、30過ぎ頃に、はじめて、社会と向き合う。変な言い方だね、つまり、若い頃は、愛だ、恋だ、子どもを産むことだの、いつも、男の傘下にあって、自律的になりきれない。一人前に自立しているような女でも、社会との間には、男が差し出す傘の下に居るという幻想が横たわる。
その幻想がガラガラと壊れるのは、30過ぎ頃だと思う。この時の女の不安感や孤独や見捨てられ感というのは、言ってみれば、「どんな人間でも死ぬときは一人だ」という感覚に近いのではないかと思う。

わたしは、NHKで放送された「冬ソナ」とrainの韓ドラを見ただけだから当てにならないけど、なんというか、韓国の男優には、(儒教の影響か、兵役の影響か分からないけど)、昔のハリウッドスターのようなフェミニスト的なオーラがある。

だから、不安な女は、韓国男優の純情によって、いっとき、幻想に包まれ、かつての物語に抱かれることによって安堵するのである。(ほんまかいなw)

※ネタバレ注意

サンドゥ、学校へ行こう」は、初恋を貫く若い男女の物語。わんわん、泣いちゃったよ。でもって、二人は、最後、死んじゃうんだけど、すぐにシーンが変わって、二人が高校生のときの場面になる。いつも、サンドゥを迎えに来ていた女の子が「サンドゥ、学校へ行こう」と呼ぶんだけど、なかなか出てこない。しまいに女の子は泣き出し、そうすると、サンドゥがニッコリ笑って(この顔がいい!)出てきて、「なんで泣いてるんだ?」と聞く。「だって、サンドゥが、先に行っちゃったかと思ったんだも」。
そのとき、サンドゥは言うのである、「お前を残して先に行かないよ」と。
くぅ・・・・。
もはや、というか、(昔からだったかもしれないけど)、「お前を守るよ」と言われたって、琴線に触れた試しがなかった、(もしくは、触れなくなってしまった)女達にとって、この言葉は、深く深く胸を揺さぶるのです・・。


サイボーグでも大丈夫」は、若者向けの良い映画。ラストはテーマがテーマなだけに、じんわりとあったかい気持ちが広がる。