『Nの肖像』仲正昌樹

仲正氏にとって「統一教会とはなんだったのか」、教会で過ごした日々を振り返りながら、語られてゆく。
彼が言う「実存的不安」、「司牧権力」と「承認」問題は、切実な人も多かろうなあ。

この枠組みで言うと、わたしはあのとき恋愛に逃げたんだな、と読みながら思う。
一つ、面白かったのは、「承認と依存」のはなし。このブログ書きも、「承認されたいんだな、わたしは。」と思っていたのだけど、それが「依存である」というのは、言われてみれば、なるほどなあ、と。


後、思ったのは、統一教会の教義がしっかりとした理論立てになっているらしいこと。
そうしたものにのめり込むことができる人は、理論が完璧で美しい、ということに惚れるんじゃないだろうか。自分の抱えている問題とイメージが合うだけじゃなくて、理論に隙がないと思えたときスッと受け入れてしまうというか、何か特徴があるような気がする。

うまく言えないんだけど、(理論→正しい→理想)、理想に向かってみんなで戦うぞ、みたいなとき、なんていうか、「みんな違う」のにどうするんだとか思わない、つうか、、、頭の良いリーダータイプは、全体のなかで自分が消されちゃうようなことへの恐れなんてないんだろうしなあ。

あ。思い出した!仲正氏のドゥルシラ・コーネルとかアーレントとか。そっかあ、そこへ続くのね。


Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶

Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶