ボトムアップ型とトップダウン型

NHK『証言ドキュメント サッカーの50年』をみた。

中田英ジーコ監督時代のことを話している。
「結局、自由というのは早すぎたってことです。でも、必要な通過点だったと思います。」
「今まで築き上げてきたものの上で自由にやるという風にいかなくて、全てがバラバラになってしまった。」
彼の言葉を聞きながらいろんなことを思い出す。
日本サッカー協会(だと思うけど)が出しているDVD(『6月の勝利の歌を忘れない』とかとか)で、ヒデが、DFの二人に言ってる、「サイドからの飛び出しに注意を向けないとダメだ(意訳してます)」と。わたしが気になったのはヒデの言うとおり、ベルギー戦でそれをやられてしまった、ということじゃなくて、二人がうつむいたままでヒデに返事をしなかったこと。

(こっからはわたしの妄想だけど)、ジーコ時代、(監督が戦術について一切指示しなかった、というのは有名だけど)、ピッチ上では、ヒデがリーダー(監督代行)みたいなもので、というか、彼しかそれをできなかったろうし、ただ、彼はそれをやりきることができなかった。
トルシエ時代、ロッカールームでヒデが盛んにみんなにいろんなことを言っているのだけど、みんなはうつむいている、というような様子がDVDに映し出されていたけど、つまり、それは、ヒデだけが「自由にやる」ということへの用意があった様に見え、それは(第一回目放送の「サッカーの50年」のように)、杉山選手と釜本選手がけんかしながらコンビネーションを作り上げていったように、コミュニケーションを重ねながら、いくつかのコンビネーションを強化し、チームとしてまとまってゆく、ということが「自由にやる」というボトムアップなはずなわけで、それがああした雰囲気を引きずったようななかで断行されたなら「すべてがバラバラになってしまった」って、当然だと思う。

今回の、アフリカ大会の日本代表は、大会直前、(英国戦かコートジボワール戦の後らしい)に、年長者のだれかが呼びかけて選手全員が集まったそうだ。年長組は、いつものように元気をつけよう!くらいの気持ちだったが、若手から戦術などについてガンガン意見が出て、茫然としたそうだ。(TVでやってた)。
この後なんだよね、岡田監督が若手中心に組み替えたのは。

そして、このチームは、試合の最中、選手たちだけで自主的に戦術を変更した。(岡田監督がそれを嬉しそうにあちこちでコメントしている)。

だから、(察しが付くでしょうが)、このチームならば、ヒデは悪者にならなくてすんだのです。
全ての不満が監督ではなくて、物言う(監督代行の)ヒデに向かってしまったのは当然の成り行きだとしても、チームとしてのまとまりを壊したのはヒデだ!(現日本代表チームの仲の良さを称賛し、ドイツ大会チームを壊した元凶はあいつでしょ!、と吐き捨てるように言った某tvのキャスター!)というのは、あまりにも気の毒でいつもわたしは泣けてきます。
(・・妄想です)