お返事(その1)

インターネットの可能性の一つに、少数派がその立場からモノを考えたり質問したり出来る、というのがあると思う。
アイロニストの条件の一つには、ある事や状況に絶望したとき、その対象を軽蔑したり憎んだり出来る、ということがあると思う。軽蔑も憎しみも抱けない者はアイロニストじゃない。と思う。

どこにどんな人間として生まれ変わっても耐えられるか、という立場可換性って「善悪の彼岸」から出発した認識?(にしては・・。)
文化的多元主義というのは、近代と両立不可能な多様性との境界を維持するために「社会政策の遂行」と「法的意思の貫徹」のバランス重視だと。(なんつうか冷たいコトバの並び。ヨーロッパがいまこういうカンジなのかなあ・・。)
柄谷がハイデガー西田幾多郎の思想が共同体のイデオロギーとして機能してしまったのは、外部を見失ったからだ、というようなことを言っていた、ような気がする。そして柄谷が言うようにヨーロッパが過去を否定して新たな局面でそれを再現するのだとすれば、さしずめ、日本は知らぬ間にそうなっている、なんてことに・・なるなヨー!