猫のあくびのような学力

「学力が低下」してるんだと。(・・)

寺脇研氏、というか当時の文部省がやったことというのは、「学校の構造改革ではなくて、学力に対する考え方を変換した」のだとあたしは(勝手に)思っている。多様な生き方の道具としての学力。学力偏重に繋がる競争もない。それはつまり、時代の風潮として忍び寄っていた、学力格差、平均値としての学力低下、日だまりの猫みたいなこどもたちを肯定するものだった、とあたしは思う。

いま又、「学力低下」を批判する人が言っていることはつまし、「やっぱし、それでは生き延びることができない」ってことだろうか・・?