受動意識仮説に基づく心のモデル

charis氏のとこを読んで、「ロボットの心の作り方*1」を読む。「受動意識仮説に基づく心のモデル」はとてもエキサイティング。なんだかすぐにでも実現されそうでわくわくする。けれど、あたしは読めば読むほどわけがわからなくなっちまうのも確かで、ちょいとまとめ。
「受動意識」とは、つまり「ゼロ記号」のようなものだろうか。
「意識」は、「無意識(意識にのぼらない多様な脳内処理全般を指す)」からボトムアップ的に受けとった情報をエピソード記憶として記述する。意識は、無意識内の多様な処理の重要度に応じてそれをモニタするだけであり、意識から無意識へのトップダウン的制御はない。
けれど、この「ゼロ記号」かのような「受動意識」はボトムアップ的に無意識内の処理をモニタ、追体験するだけとはいえ、それは受動的な仮想の統合(バインディング)なのだろうと思う。双方向性をもつ文脈依存性のエピソード記憶とはそういうことではないのか?
それとも、それも無意識内で処理されるものなのだろうか。そうであれば無意識内に「意識的な役割」を受け持つ処理部があることになりはしないのだろうか?

ともあれ、これが意識として実装されれば、ロボットに心があるように見えるかもしれない。