『靖国問題』高橋哲哉(1)

靖国問題 (ちくま新書)
charis氏*1のとこを見て早速読んだ。
徹底的なんだ・・なんつうか、責罪感のうちにとどまりつつ、侵略戦争を支えた「国家=宗教」のイデオロギーを徹底的に排除することを願う。
高橋氏はむしろ、「責罪感」を消すまいとしているように見える。つまり、靖国問題というのは−ヤスパースは戦争責任を刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任に分けたらしい−どんだけ、アジア諸国と政治的に決着しても、なお残る、道徳的責任、形而上的責任にあたるんじゃないかと思った。道徳的責任をはたすためには形而上的な「責罪感」がなければならない。きつい。これは苦しいなあ・・。

あたしは、9条が、唯一、アジアに対する「道徳的責任」の証だと思ってきた。でも、高橋氏が書いてるように、9条を徹底して、軍隊を廃止すれば、それは、「責罪感を背負う日本人」が誇りを取り戻す、という道がひらけるのではないか、とちょっと、思ったりした。*2

*1:http://d.hatena.ne.jp/charis/20050421

*2:反日デモには学生風の若者が多く、彼らは明るく軽やかに見えた。しかし、「日本人は罰をうけろ」「邪悪な日本人」というプラカードを見たとき、あたしは、少し涙ぐんだ。彼らは、侵略していく日本の将兵たちがなした残虐な事件の記録や写真をみて育ったのだと思い、(高橋氏の論にそって考えれば)もし、日本が中国や韓国が納得する教科書を使うようになったとき、それを見て育った日本の子どもが、誇りと元気を取り戻すなにかがなければならない、と思う。