電気羊のあたしは貧しい夢をみていた

考えてたんだ・・。

「罪」も「歴史」もあたしの中にしか存在しない(4/29)、あたしは「しつけ」の名のもと、何に迎合し何を下支えしたのか(4/27)

これはつまりあたしは懸命に「外」の世界に気がつこうとしているわけだ。

ここであたしが、「外」の世界であるところの何らかの社会的システム−教育や政治や経済やら−のイデオロギー装置を認識することが出来たとして、しかし、客観的な認識を持った時点で、あたしは、元の木阿弥になる。あたしは「外の世界」を再び失い、「客観的認識であるところのイメージ」を抱え込むのだ。

この構図は、認識の仕組み、言葉のシステムそのものなのかもしれない。
あたしが理解したとき、枠組みが構成される。