『感じない男』森岡正博


「われらみな控訴院長(5/17)*1」を読んで面白半分に購入。夜更かして読んでしまったよ。*2

とてもまじめな啓発の書。
「頭でセックスをする」とはよく言われることだけど、男の/ぼくのセクシュアリティが、その快楽の観念性がいかにメディアのなかで巧妙に操作されているか、その「快楽管理社会」のイメージが圧迫感を持ってせまってくる。そしてそれは著者も言うように女/あたしも同じである。快楽が観念であるということは。

この本はロリコンや制服フェチに面白い理論をたてている。成熟回避、去勢拒否という理論を避けて、「母親との訣別の回りくどい試み」として位置づけられる。ここらへんがよくわからない。ここらへんからあたしの頭の中ではこの本の筋道がつけられるなくなる。というのも、あたしはユニセックスである少女の身体から大人への変わり目、そこで酷い違和感、嫌悪感に悩まされたからであるし、あたしも自分を「肯定」することができず、長い間傷ついていた。当然、当てはめて読んでいきたくなる。
すると、あたしには「母親との訣別の回りくどい試み」のあだ花である(ロリやフェッチの女性版かもしれない)拒食症とか、痩せたい願望、が当てはまるということになるのだろうか?あたしは母親との葛藤は中学のときに酷く、しかし、高校の時、たぶんあたしは彼女を理解した。あたしの自己否定はそれから以後、はぐくまれたような気がする。あたしの自己否定もセクシュアリティにかかわるものだとは思う。けれど、どうも、著者の「母親との訣別の回りくどい試み」理論があたしのなかにはうまく収まらない・・。わかってないだけかな。