アイデンティティ

ここを*1感動しながら読んだ。

このまえTVが「9.11の日本人犠牲者」というのを放送していた。とても印象的だったのは、かなり多くの遺族のかたがたが日本政府に不満をもっていたことだ。根本的には、公的な慰霊に準ずる何かを欲しているのではないかとわたしには思われた。ある犠牲者の父親は「息子は国のために頑張って働いていた」といい、ある父親は、トレーダーだった息子の遺産を使って、(彼の意志を継ぐとして)アフガン支援に乗り出そうとしている。

こうした心性、アイデンティティの呼び声が、「善く生きる=正義、倫理」として公的なものに結びつく以外に、なすすべがないときがあるのかもしれない。

しかし、世界宗教は「公的な正義(倫理)」に対抗する「個々人の愛の倫理」をもっているとわたしは思う。*2たぶん、両方ひつようなんだろう。しかし、国家はいつでも世界宗教を手なずけ取り込み、世界宗教を終わらせる。キリストやブッダは公的な儀式を司る土着の国家的宗教から外へ出よ、と言ったのではなかったか。

*1:2005-09-16

*2:国家やなにか公共的なもののために戦わざるをえないとき、そのために不利益を被るかもしれない個々人の顔を見てしまったら、その信念は揺らぐだろう。ここに思いを至らすことが大事なんだと思う。