ゆるいフェミニスト

ここをみた。*1なるほど、あたしは何故「フェミニストじゃないけど、」フェミの味方だとか応援してるんだとか言ってきたんだろ?たぶん、(ろくにフェミについて知らないけど)、フェミニズムは「運動だ」と思っているからなのかなあ。「不具合、不平等は正していかんば」と思うけど、「生き方、生の様式」についてはいろいろあっていいとあたしは思っているわけで、つまり、あたしにとってのフェミとは、日々のあたしの生き方のことなんだ。
まだガキンチョがちいちゃかったとき。仕事の帰りに食料品を買って、(保育園は5時までなので)その後、母が預かってくれてる子どもを迎えに行く。それから料理、掃除、洗濯(夜干しなわけ)、子どもの世話。夫は時間的制約もあって家事育児いっさいに手を出さない(出せない)のだけど、洗濯物の夜干しについて彼は非難したことがある。職場であんまりだと思うことがある。そうゆう、くだらない色んなちいちゃなことをあたしがどう考えてどうしていくのかってことが、あたしにとってのフェミ。あたしはフェミニズムの風潮のなかを試行錯誤しながら・ただ・生きているわけだ。あたしは、フェミニストたちの長い間の運動、活動の恩恵を感じる。けれどだからといって、フェミニズムに共感をよせ「あたしはフェミニストだ」と言えば、「活動もしない素人の馬鹿が何を言ってるんだ」とか批判されそうでやっかいだな、というイメージがある。

あたしは「女らしさ」「男らしさ」の定義に戸惑いがある。*2あたしは、男に言いたいことをガンガン言ってやり込めたり追いつめたりするような女が好きじゃないのだ。あたし自身がそうされることが面倒くさい(男からでも女からでも)。相手を理解してみたい、という発想があって突き詰めるってのは好きだと思う。あたしは、男に媚びる女だって面白いなあと思うし、なんだか情け無い女もすきだ。
運動ってものは、そうゆう多様な生き方を戦略的に切らざるを得ないとこがあるのではないかと思う。なんだかよくわからないんだよねえ。所詮はエリートの世界の中のはなしで、オマエは関係ないよ、ってことなのかな、という気もしてくる。
なんつうかなあ、あたしはどっちかってと、たとえば法律とか仕組みが変われば、人はそれにつれていくって思うとこがあって、男女平等に言寄せた理想的な生様式の幻想に縛られるのが嫌なんだ。それに(たぶん)多くの女たちは、男女平等を完全に実現するより、誰かを思いやったり理解することのほうがはるかに困難で、平等の精神だって、そおゆうことを基盤にしてしか成り立たない、と気がついているんだよ。