『日本人の目玉』(2)

はじめのほうは、精神分析的な考察でも読んでいるような気がして気軽に読読み飛ばしていたのだけど、いや結局、福田氏のこだわりは哲学的な存在とか認識とかのはじまりの問題だったというか、それはそうなってしまうのだろうなあと思いもするけど、肝心の(だって作品を一番読んでる)安吾の章がさっぱりわからんかった。第一、漢字が読めない。

純粋な過去か純粋な未来−現在に取り込まれていない−が絶望の窓越しに現れる。
やっぱり川端康成の章はひっかかるわけで、やっぱりそうなるとあたしはソクラテスっていいなと、ソクラテスのなにがわかっていいと思うわけじゃないけど、はじまりの倫理が絶対的にあるんだ、みたいな、善く生きよう、みたいな、そういうのにすり寄るよね・・やっぱ。

あたしの友人は西尾幹二がすきだ。きっと(読めば)よしのりもすきだっていうと思う。あたしが友人に反駁しづらいのは、それが彼女のアイデンティティだから。あたしはどうもアイテンティティってものを否定できない。ぞろぞろ怪物がでてきそうじゃないですか・・。おそろしいです。でもこの次は、やっぱこれだけは伝えたい。「あたしは、自分のことばっか考えて相手を思いやれないヤツが嫌いなんだ。歴史って相手がいるんだから。」
たださ、中国なんかをみていると、日本を靖国だなんだと牽制しながら軍事大国にのしあがりつつあって、それがまた反動の口実になるんだろう。でもあたしは日本の政治家はなにもかもわかって色んな出方をしているのだと信じているよ。
問題なのは国の形であってアイデンティティぢゃない。と思うところがある。