『デリダの遺言』(1)仲正昌樹

デリダの遺言―「生き生き」とした思想を語る死者へ
デリダの遺言』という本を読んだ。
現代思想に触れた者が逆説的に偏狭な世界観を唯一の真理として絶対視してしまってはいけないよ」ということを、仲正昌樹氏はweb等におけるサヨとウヨの水掛け論的硬直状態などをを引き合いにだしながら、二項対立的現状を軽快に爽快に切り開いて(ディコンストラクションして)いく。
この仲正昌樹氏のディコンストラクティヴな手法は世界観の対立という図式のなかでこそ生き生きする。
だから、(カギ括弧をはずした)現代思想家をディコンストラクション的に批判するだんになると、仲正氏は、ちょっと、酷だよ、とあたしは思ってしまう。だって、柄谷行人氏にしろ高橋哲哉氏にしろ、第三次世界大戦をにらんだ冷戦という時代にディコンストラクション的に考えた人達だろうと思う。柄谷氏は次のようなことを言っていた。


マルクス主義は、合理論的、目的論的な思考(大きな物語)として批判されてきた。実際、スターリニズムはその様な思考の帰結であった。歴史の法則を把握した理性によって人々を指導する知識人の党。それに対して、理性の権力を批判し、知識人の優位を否定し、歴史の目的論を否定することがなされてきた。それは中心的な理性の管理に対して多数の言語ゲームの間の「調停」や「公共的合意」を立て、また、合理論(形而上学)的な歴史に対して経験の多様性と複雑な因果性を立て、他方で、目的のためにいつも犠牲にされてきた「現在」をその質的多様性(持続)において肯定することである。
しかし、私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考−私自身それに加わっていたといってよい−が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。九〇年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコンストラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論相対主義、多数の言語ゲーム(公共的含意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位−美学的なものをふくむ−である。八〇年代におけるカントへの回帰とは、実際は「ヒュームへの回帰」である。
一方、私がカントを読み始めたのは、いわば、「ヒュームへの批判」という文脈においてである。それはあからさまにいえば、コミュニズムという形而上学をいかにして再建できるかという問題である。(中略)
われわれはけっしてナイーブに積極的に理念を語ることを許されていない。それはスターリニズムを否定してきた新左翼にもあてはまる。しかし、その結果、コミュニズムを嘲笑することが「時代の好尚」となった今日において、別の、同様に「甚だしく独断論的」な思考が栄えている。また、知識人が「道徳性への不信」を表明している間に、世界的に、文字通りさまざまな「宗教」が隆盛し始めた。われわれはそれを嗤うことはできない。
かくして、私は九〇年代に入って、特に考えが変わったわけではないが、スタンスが根本的に変わってきた。私は、理論は、たんに現状の批判的解明にとどまるのではなく、現状を変える何か積極的なものを提出しなければならない、と考えるようになった。同時に、そのことがいかに困難であるかをあらためて思い知った。

だから、むしろ、硬直した冷戦が終わった後の、または、理性の物語が終わった後の混沌とした−合理論に対する経験論的思考の優位−時代のなかで柄谷氏や高橋氏の「現実を変えよう」とする理論的挑戦でもある試みを(たとえばあたしのようなカギ括弧付き「柄谷さん」や「高橋さん」のイメージに溺れる)馬鹿げた危険な躁状態−まさに資本主義のそれ自体ディコンストラクティヴな運動ではないか−をもってして彼らを批判解明してみせることは、反動的な現状維持に見えかねないのではと思う。