『日本とフランス 二つの民主主義』(薬師院仁志)(2)

夏休みも終わり。あーぁ。
内容を忘れないうちにメモ。しとかんば、とおもいつつ、時間がたっちゃた。

アメリカ、フランス、日本の憲法を読み比べて、それぞれの国が「自由」「平等」のどちらに偏向が強いか、とゆうのはおもしろかった。
それと、「フランス型平等主義の限界」として印象的なのは、「イスラム教徒であることを自分のアイデンティティとする人間、フランス国民であるより先にイスラム教徒であるような人間を前にしたとき、この普遍的平等主義は挫折してしまうことになる」というところ。つまり、「そのような人々にとって、フランス流の平等主義は、暴力的な同化政策でしかありえないのである。」。
しかし、フランスの人々は私的には、異文化に寛容だ。そこにあるのは「文化的多様性と同化主義の同居」なのだ。だから、多文化主義とか同化主義とかで切り分けるのではなく、なぜそうなるのかを、フランスの筋金入りの平等主義から説き起こしていく。そこがすごくおもしろい。

アメリカの「自由主義」がコミュニティや結社を必要とする理由もよくわかった。日本においてコミュニティ的役割を果たしていた(だろう?)「カイシャ」が、グローバル化によりかつての姿をとどめなくなっているいま、フランス流の徹底した「平等主義」が光り輝いて見えてくる。

フランスは異文化に不寛容な国ではない。政府が同化主義的な政策を採ってきたことは事実であるが、それ自体に差別的な意図があったわけではないのである。逆にすべての人間は平等であり、人間は誰でも同じだという思想こそが、自分たちは違うという主張を断じて許さなかったのだ。(p209)

あたし、実は、心の底から「すべての人間は平等であり、人間は誰でも同じだ」だとおもってますも。あたしのホットさも不遜もそっから出てくる・・。