『社会』(市野川容孝)(2)

ニーチェのあたりまで読んだところで、父にかかりっきりになっていた。忘れかけてっのでとり敢えず、メモ。
なんつうかなあ、著者がニーチェを「社会的なものの最大の敵」として叩きたい、とゆうのはルクセンブルク的な福祉国家?(かどうかはまだ読み終わっていないのでわからないけど)、ともかくニーチェのような突き抜けちゃうような自由を認めきることができない政治手法の方向性を示したいからなのだと推理。